supplod さんの「 シン・エヴァンゲリオン劇場版? 」の感想 87点 シン・エヴァンゲリオン劇場版? これまでのエヴァシリーズ(TV版~旧劇~新劇3作)が特に刺さらず、なんでこんなに神格化されているんだと薄っすら嫌悪感を抱いていたプチ-アンチの自分にとって、エヴァを終わらせるならこの方法しかない!!と納得できる「完璧」な完結編だった。 頑張ってTV版から『Q』まで順番に観たがどれも特に面白くはなかったのでモチベは低かったが、劇場予告で流れた『One Last Kiss』が良過ぎて、これを劇場で初めて聴くためだけにでも行く価値はある!と思い、歴戦のエヴァオタクみたいな顔をして公開初日に足を運んだ。アニメの風景オタクとしては現代日本アニメーション最高峰の作画水準でそれをじっくり見せてくれる第三村パートは絵面だけで常時大量加点される確変状態だった。エスエフ/ロボット/バトルアクションに興味はないのでどうでもよく(脳の電源がoffになっているイメージ)、終盤で畳み掛けるように露骨に物語を終わらせにきているのがわかり、工場のベルトコンベア-ライン作業のようにキャラを1人ずつ魂葬し始めて笑ってしまったが、最終的な落としどころは個人的にほぼ完璧でものすごい興奮していた。エンドロールが流れ出すまで当初の目的の『One Last Kiss』のことをすっかり忘れていたほど。今作のためだけにシリーズぜんぶ我慢して観た甲斐があった。 / 何が「完璧」だったのか説明する。ゲンドウのくそしょーもない自意識垂れ流しペラペラ懺悔告白を済ませ、レイとアスカにもそれっぽい形でなんかいいかんじのふいんきだけ醸し出して別れを告げて、シンジを最後に救いに来たのは、シンジと最後にくっ付いたのは、『新劇場版』からの新ヒロインであるマリだった。自分はアスカ派だし、マリには特に思い入れがない(エヴァ自体に思い入れがないけど)ので、この展開への第一の思いは「解釈違いだな」「シンジくんがぽっと出の女に寝取られてしまったな」というネガティブなものだった。しかし、ラストの宇部新川駅のシーンで、シンジ-マリという新カップリングだけでなく、レイとカヲル君が一緒に並んでいる。──こいつらそんな描写あったっけ?(アスカは第三村でとっくにケンスケと関係を持っている。)そして極めつけは、ラストシーンでのシンジ君の声が、あの、エヴァを観る前からすでに聴き慣れていた緒方恵美さんの「あの声」ではなく、オリジナル劇場アニメに引っ張りだこの、本業は俳優の、神木隆之介さんの声に替わっていたことだ。────これらの描写を総合して、わたしは理解した。……そうか! ぜんぶ、『エヴァ』というあまりにも大きくなりすぎてしまった物語を終わらせるために「あえて」やっているのか! 計算し尽くされた意図的な「解釈違い」オチなんだ!と。本作を「きれいに畳んだ」とか「オタクの卒業式」とか評する意見をよく目にするが、わたしにとっては全然そんなお行儀のいいものではない。仮に卒業式だとしても、来賓紹介あたりで壇上の人間全員が服を脱ぎ捨てて裸踊りをし出し会場にはデスメタルが流れだしセレモニーホールの床は割けて室内カレーラーメンプールに早変わり……的な、どんちゃん騒ぎで「台無し」になるたぐいの式典である。『エヴァ』の呪縛からすべてのオタクを解き放つには、このように全力を挙げて、これまで築いてきた物語を、キャラクターを、台無しにするほかなかった。ヒロイン論争も、神学的/SF的なモチーフ考察も、ぜんぶ無意味。ぜ~んぶしょうもない。わたしはいつまでも♰考察♰しているオタクやレイ/アスカ論争をしているオタク、それからいつまでもTV版や旧劇の量産型シーンやラストのアスカの「きもちわるい」に囚われてうだうだ言っているオタクが大嫌いだ。(だいたい「きもちわるい」とヒロインに罵倒されて終わるなんて、この上なく「おいしい」つまりオタクに媚びた描写だろう。(ヒロインに罵倒されて気持ちよくなるヘテロ男性オタクの嗜好はいうまでもなく非常に凡庸なものだ。)な~にが「突き放された」「純文学的な幕引き」「現実に帰れ」という深いメッセージ性、批評的に価値がある、だよ……(わらにんぎょーろんぽー発動ッ!)) だから、本作のこの展開は、そういう「これまでのエヴァ(特にTV版と旧劇)が高尚で素晴らしいものだと神格化されている現状」にまるごと嫌気がさしていた自分のようなにわかオタクにとっては、ピンポイントでぶっ刺さる、自分が嫌いなものがこきおろされて溜飲が下がりまくる、どこまでも後味の良い「完璧」な完結編だったのだ。最高級のスカッとジャパン。終盤のパチンコ確変演出じみたエヴァ機体串刺しシーンとかも、特に興味のない(がやたらと神格化されている)巨大ロボ(ロボではない)バトル要素がすべて下らない冗談のようなものだと宣言されているようで気持ちいい。まじでここまでエヴァを頑張って耐えて観てきて良かった! 「これまであなた達が観てきたものはしょうもないものですよ」というちゃぶ台返しのためだけに「観る価値がある」というのはマッチポンプのようで倒錯しているが、「神格化されている長寿コンテンツを終わらせる」ための《脱-神話化》としてこういうやり方があり、それを実際にやってしまったことにはどこまで評価してもし足りない…………いや評価しすぎるのもそれはそれで再-神話化になってしまうが、大きなものが音をたてて崩れるのを(至近距離の安全圏から)眺めるのは楽しい、という根源的な欲望に合致した見事な映画だった。 Tweet 2022-07-24 09:51:38
87点 シン・エヴァンゲリオン劇場版?
これまでのエヴァシリーズ(TV版~旧劇~新劇3作)が特に刺さらず、なんでこんなに神格化されているんだと薄っすら嫌悪感を抱いていたプチ-アンチの自分にとって、エヴァを終わらせるならこの方法しかない!!と納得できる「完璧」な完結編だった。
頑張ってTV版から『Q』まで順番に観たがどれも特に面白くはなかったのでモチベは低かったが、劇場予告で流れた『One Last Kiss』が良過ぎて、これを劇場で初めて聴くためだけにでも行く価値はある!と思い、歴戦のエヴァオタクみたいな顔をして公開初日に足を運んだ。アニメの風景オタクとしては現代日本アニメーション最高峰の作画水準でそれをじっくり見せてくれる第三村パートは絵面だけで常時大量加点される確変状態だった。エスエフ/ロボット/バトルアクションに興味はないのでどうでもよく(脳の電源がoffになっているイメージ)、終盤で畳み掛けるように露骨に物語を終わらせにきているのがわかり、工場のベルトコンベア-ライン作業のようにキャラを1人ずつ魂葬し始めて笑ってしまったが、最終的な落としどころは個人的にほぼ完璧でものすごい興奮していた。エンドロールが流れ出すまで当初の目的の『One Last Kiss』のことをすっかり忘れていたほど。今作のためだけにシリーズぜんぶ我慢して観た甲斐があった。 / 何が「完璧」だったのか説明する。ゲンドウのくそしょーもない自意識垂れ流しペラペラ懺悔告白を済ませ、レイとアスカにもそれっぽい形でなんかいいかんじのふいんきだけ醸し出して別れを告げて、シンジを最後に救いに来たのは、シンジと最後にくっ付いたのは、『新劇場版』からの新ヒロインであるマリだった。自分はアスカ派だし、マリには特に思い入れがない(エヴァ自体に思い入れがないけど)ので、この展開への第一の思いは「解釈違いだな」「シンジくんがぽっと出の女に寝取られてしまったな」というネガティブなものだった。しかし、ラストの宇部新川駅のシーンで、シンジ-マリという新カップリングだけでなく、レイとカヲル君が一緒に並んでいる。──こいつらそんな描写あったっけ?(アスカは第三村でとっくにケンスケと関係を持っている。)そして極めつけは、ラストシーンでのシンジ君の声が、あの、エヴァを観る前からすでに聴き慣れていた緒方恵美さんの「あの声」ではなく、オリジナル劇場アニメに引っ張りだこの、本業は俳優の、神木隆之介さんの声に替わっていたことだ。────これらの描写を総合して、わたしは理解した。……そうか! ぜんぶ、『エヴァ』というあまりにも大きくなりすぎてしまった物語を終わらせるために「あえて」やっているのか! 計算し尽くされた意図的な「解釈違い」オチなんだ!と。本作を「きれいに畳んだ」とか「オタクの卒業式」とか評する意見をよく目にするが、わたしにとっては全然そんなお行儀のいいものではない。仮に卒業式だとしても、来賓紹介あたりで壇上の人間全員が服を脱ぎ捨てて裸踊りをし出し会場にはデスメタルが流れだしセレモニーホールの床は割けて室内カレーラーメンプールに早変わり……的な、どんちゃん騒ぎで「台無し」になるたぐいの式典である。『エヴァ』の呪縛からすべてのオタクを解き放つには、このように全力を挙げて、これまで築いてきた物語を、キャラクターを、台無しにするほかなかった。ヒロイン論争も、神学的/SF的なモチーフ考察も、ぜんぶ無意味。ぜ~んぶしょうもない。わたしはいつまでも♰考察♰しているオタクやレイ/アスカ論争をしているオタク、それからいつまでもTV版や旧劇の量産型シーンやラストのアスカの「きもちわるい」に囚われてうだうだ言っているオタクが大嫌いだ。(だいたい「きもちわるい」とヒロインに罵倒されて終わるなんて、この上なく「おいしい」つまりオタクに媚びた描写だろう。(ヒロインに罵倒されて気持ちよくなるヘテロ男性オタクの嗜好はいうまでもなく非常に凡庸なものだ。)な~にが「突き放された」「純文学的な幕引き」「現実に帰れ」という深いメッセージ性、批評的に価値がある、だよ……(わらにんぎょーろんぽー発動ッ!)) だから、本作のこの展開は、そういう「これまでのエヴァ(特にTV版と旧劇)が高尚で素晴らしいものだと神格化されている現状」にまるごと嫌気がさしていた自分のようなにわかオタクにとっては、ピンポイントでぶっ刺さる、自分が嫌いなものがこきおろされて溜飲が下がりまくる、どこまでも後味の良い「完璧」な完結編だったのだ。最高級のスカッとジャパン。終盤のパチンコ確変演出じみたエヴァ機体串刺しシーンとかも、特に興味のない(がやたらと神格化されている)巨大ロボ(ロボではない)バトル要素がすべて下らない冗談のようなものだと宣言されているようで気持ちいい。まじでここまでエヴァを頑張って耐えて観てきて良かった! 「これまであなた達が観てきたものはしょうもないものですよ」というちゃぶ台返しのためだけに「観る価値がある」というのはマッチポンプのようで倒錯しているが、「神格化されている長寿コンテンツを終わらせる」ための《脱-神話化》としてこういうやり方があり、それを実際にやってしまったことにはどこまで評価してもし足りない…………いや評価しすぎるのもそれはそれで再-神話化になってしまうが、大きなものが音をたてて崩れるのを(至近距離の安全圏から)眺めるのは楽しい、という根源的な欲望に合致した見事な映画だった。
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