supplod さんの「 ルックバック 」の感想 65点 ルックバック 個人製作感がやや苦手だった 原作漫画は公開日に読んだきり まぁ…… めちゃくちゃ嫌いとか批判したいとは思わないけど、まぁこんなもんか、という感じ。ハードル上がってたから。 みんなが感動している、藤野が雨道を走って帰るシーン、「これがあの、みんなが感動しているシーンかぁ~」という気持ちが先に来てしまった。たしかに良いのは良いんだけど。 てか、こんなに個人製作アニメーション感を押し出したアニメ映画だとは思わなかった。もっと「これがほとんど個人の手に依るものだとは考えられない!すごい!」……と思うようなアニメ映画だと思ってたけど、違った。自主制作で才能爆発させてやりまっせ感がすごい。カメラ(ワーク)の主張も強い。 背景美術も、ぜんぶ人の手で描いてまっせ~すごいでっしゃろ~~という自己主張が強い。背景美術だけの京本の4コマと結びつく要素だろうか。 終盤のスライドショー部分は労力が尽きたのだろうか。あんなに静止画を垂れ流しながらクソデカBGMを鳴らしてエモーションを煽る必要性がわからない。 劇伴さすがにうるさすぎてわろた haruka nakamuraなぁ…… 好きなんだけど、好きだからこそ、こういう風に起用されてほしくなかったなぁ~……… 『時をかける少年』のポスターが部屋に貼ってあったけど、細田守感はわりと強かったかもしれない。雨道を駆けるシーンとか、讃美歌っぽい主題歌とか、『おおかみこども』の影響を感じなくもない。 Botanica系のアーティストとしてharuka nakamuraと高木正勝は近い位置にいるし……。 京本すごい可愛かったね。でも、こういう天才/人見知りキャラを可愛く、フィクショナルに(アニメらしく)魅力的に描いてしまうことの危うさを、最近じぶんはよく考える。『リズ鳥』の鎧塚みぞれとかもやや近い。ステロタイプな「孤高の創作者/芸術家」像をそのままなぞっている。あえて、なのかもしれないが、それ以上の意義をあまり見いだせない。 これは原作からの(死ぬほど言われている)問題ではあるが、やっぱり殺人犯の「男」の背景("back" story)をもっと描いてほしかったなぁ……と思う。破いた4コマが京本の部屋のドア下の隙間に入って以降のifパートをやる代わりに、彼視点の半生を描くパートをやるとか。 この作品はそういうんじゃない、ってのは十分に分かるんだけど、「そういうんじゃない」からこその限界を感じるんだよな。 やっぱり二者関係より三者関係を描くべきだよ。そりゃあ藤野と京本のペアは(百合として?)「尊い」よ? エモいよ? ……でも、それだけじゃあ限界があるんだよ。→島本和彦『トリプルックバック』? 殺人犯の「男」にとって、京本の存在が、交換可能な、「誰でもよかった」殺害対象だったとすれば、この物語にとっても「男」は交換可能な舞台装置であって、その自己矛盾に作品内で回答をまったく与えられていない。ふたりの "エモい" ドラマのためにあの「男」のような舞台装置を用意することは、「男」が無差別に京本を殺害したのと同種の暴力性をもっているだろう。 Tweet 2025-06-26 20:25:00
65点 ルックバック
個人製作感がやや苦手だった
原作漫画は公開日に読んだきり
Tweetまぁ…… めちゃくちゃ嫌いとか批判したいとは思わないけど、まぁこんなもんか、という感じ。ハードル上がってたから。
みんなが感動している、藤野が雨道を走って帰るシーン、「これがあの、みんなが感動しているシーンかぁ~」という気持ちが先に来てしまった。たしかに良いのは良いんだけど。
てか、こんなに個人製作アニメーション感を押し出したアニメ映画だとは思わなかった。もっと「これがほとんど個人の手に依るものだとは考えられない!すごい!」……と思うようなアニメ映画だと思ってたけど、違った。自主制作で才能爆発させてやりまっせ感がすごい。カメラ(ワーク)の主張も強い。
背景美術も、ぜんぶ人の手で描いてまっせ~すごいでっしゃろ~~という自己主張が強い。背景美術だけの京本の4コマと結びつく要素だろうか。
終盤のスライドショー部分は労力が尽きたのだろうか。あんなに静止画を垂れ流しながらクソデカBGMを鳴らしてエモーションを煽る必要性がわからない。
劇伴さすがにうるさすぎてわろた
haruka nakamuraなぁ…… 好きなんだけど、好きだからこそ、こういう風に起用されてほしくなかったなぁ~………
『時をかける少年』のポスターが部屋に貼ってあったけど、細田守感はわりと強かったかもしれない。雨道を駆けるシーンとか、讃美歌っぽい主題歌とか、『おおかみこども』の影響を感じなくもない。
Botanica系のアーティストとしてharuka nakamuraと高木正勝は近い位置にいるし……。
京本すごい可愛かったね。でも、こういう天才/人見知りキャラを可愛く、フィクショナルに(アニメらしく)魅力的に描いてしまうことの危うさを、最近じぶんはよく考える。『リズ鳥』の鎧塚みぞれとかもやや近い。ステロタイプな「孤高の創作者/芸術家」像をそのままなぞっている。あえて、なのかもしれないが、それ以上の意義をあまり見いだせない。
これは原作からの(死ぬほど言われている)問題ではあるが、やっぱり殺人犯の「男」の背景("back" story)をもっと描いてほしかったなぁ……と思う。破いた4コマが京本の部屋のドア下の隙間に入って以降のifパートをやる代わりに、彼視点の半生を描くパートをやるとか。
この作品はそういうんじゃない、ってのは十分に分かるんだけど、「そういうんじゃない」からこその限界を感じるんだよな。
やっぱり二者関係より三者関係を描くべきだよ。そりゃあ藤野と京本のペアは(百合として?)「尊い」よ? エモいよ? ……でも、それだけじゃあ限界があるんだよ。→島本和彦『トリプルックバック』?
殺人犯の「男」にとって、京本の存在が、交換可能な、「誰でもよかった」殺害対象だったとすれば、この物語にとっても「男」は交換可能な舞台装置であって、その自己矛盾に作品内で回答をまったく与えられていない。ふたりの "エモい" ドラマのためにあの「男」のような舞台装置を用意することは、「男」が無差別に京本を殺害したのと同種の暴力性をもっているだろう。
2025-06-26 20:25:00