supplod さんの「 トラペジウム 」の感想 61点 トラペジウム こわかった https://note.com/kksk/n/n6aaaff416aa7?magazine_key=m7f189e1d08bd 24/6/1(土) 原作未読 作画がすごく苦手なかんじだった。止まっていれば良いのに動くと途端に違和感のある変な感じになる。キャラデザや美術や撮影は悪くないんだけど、「作画」だけが悪いアニメってこういうことを言うんだ〜と分かった。(いや、絵コンテ演出も足を引っ張っていたとは思うが……) 特に歩きの作画の不自然さはとてつもなかった。原画の中割りというのか知らないけど、変に枚数の多いヌルヌルした作画だからこそ、求められる動作のリアリティのハードルがつり上がってしまい、結果的に動きの不自然さ、動くべきところの動いてなさが目立ってしまうのではないか。ノートに書きつけるカットでペンを持つ腕しか動いていないのが気持ち悪く感じられてしまう等。 デジタル作画ツールが一般化した個人制作同人アニメーション作家の時代特有の問題だと言ってみたくもなるが、実情は知りません。 そして賛否両論の問題の脚本・ストーリー内容だが、終盤の30分くらいになるまではマジできついというか、怖くてずっと変な動悸が止まらなかった。共感性羞恥ともまた違う、カルト宗教の勧誘洗脳ビデオを見せられているようなムズムズした気持ち悪さと恐ろしさがあった。心臓に悪い。 そんな主人公のアイドル原理主義エゴイズムが、最終的には未熟だった「青春」の過ちの1ページとして綺麗に消化されて物語は軟着陸してほっとした。よくあれからなんとか一応いい感じにまとめたと思ったよ。 ただ、主人公の恐さがいくら相対化されて着地したからといって、何十分も映画の大スクリーンでアイドルカルトホラー映像を見せられた体験がプラスに昇華されるわけがない。余裕でマイナスです。 それに、東のアイドル至上主義はけっきょくちゃんと「反省」できる程度のものだったということにもなり、それはそれで、今まで見せられていたのはなんだったんだ……と虚無感も漂う。(逆に前半の仲間集め成り上がりパートの東の挙動を肯定的に見ていた鑑賞者もまた肩透かしを食らうだろう。) 本作はアイドルの本質を「青春」としているように思える。(無論、全然そうではない、という読み方も可能だが。) では、大人になって老いてもアイドルをし続けることは不可能なのか、ということにもなるし、アイドル産業とは青春期の未熟な若者を搾取するだけの、今すぐに滅ぶべき対象でしかないように思う。 ※ 筆者は10年後の東ゆうさんはアイドルを辞めて俳優として成功している、と勘違いしています。あまりにアイドルを辞めてほし過ぎて…… アイドルものにおいて「仕事」であることと「青春」の思い出であることを両立するのは難しく、雑にいえば、前者を取ってサザエさん時空にしたのがアイマスで、後者を取ってスクールアイドル概念を構築したのがラブライブ!ということになるか(そうなの?) そもそも東西南北というコンセプトからしてよく分からない。東さんの自室に貼ってある千葉あたりの半島の地図が印象的であるが、彼女はアイドルとして成り上がって全国規模を見据えていたのではないのか。全国スケールからすればあのローカルな地図上の「東西南北」なんてコンセプトとして不成立、「同郷出身」とかにしか思われないはず。なのになぜあんなにご当地なんだ。 それもまた、彼女の近視眼=青春の未熟さ、エゴイズム、世界観の狭さを象徴しているのかもしれないが……。 アイドルアニメでありながら、アイドルを挫折して辞めて大人になった後までを描く物語というのはあんまり見たことがなかったので、その点で珍しいし一定の評価はできる。 「もう一回やる?」と振られたくるみちゃんが「二度とやるか」と笑いながら即座に返すの良かった。 深夜アニメの美少女アイドル文脈に照らせば、ごく”ふつう”に彼氏がいて10年後も妊娠出産している女性キャラクターを描いているのも逆に好感が持てる。まあ最近では予告CMも流れていた『【推しの子】』があるから、その辺りの流れに位置付けられるのかもしれないけど。 TV撮影セットでの煌びやかな新曲お披露目ライブを中盤に配置して、真のクライマックスは、観客が誰もいない高台でアイドルを辞めた少女4人がアカペラで存在しない新曲を合唱するシーンにする、という構成も好き。他に誰も見ていないところでパフォーマンスをする展開が性癖なので……。『フラ・フラダンス』の高台ダンスシーンを思い出した。 Tweet 2025-06-26 20:22:52
61点 トラペジウム
こわかった
https://note.com/kksk/n/n6aaaff416aa7?magazine_key=m7f189e1d08bd
Tweet24/6/1(土)
原作未読
作画がすごく苦手なかんじだった。止まっていれば良いのに動くと途端に違和感のある変な感じになる。キャラデザや美術や撮影は悪くないんだけど、「作画」だけが悪いアニメってこういうことを言うんだ〜と分かった。(いや、絵コンテ演出も足を引っ張っていたとは思うが……)
特に歩きの作画の不自然さはとてつもなかった。原画の中割りというのか知らないけど、変に枚数の多いヌルヌルした作画だからこそ、求められる動作のリアリティのハードルがつり上がってしまい、結果的に動きの不自然さ、動くべきところの動いてなさが目立ってしまうのではないか。ノートに書きつけるカットでペンを持つ腕しか動いていないのが気持ち悪く感じられてしまう等。
デジタル作画ツールが一般化した個人制作同人アニメーション作家の時代特有の問題だと言ってみたくもなるが、実情は知りません。
そして賛否両論の問題の脚本・ストーリー内容だが、終盤の30分くらいになるまではマジできついというか、怖くてずっと変な動悸が止まらなかった。共感性羞恥ともまた違う、カルト宗教の勧誘洗脳ビデオを見せられているようなムズムズした気持ち悪さと恐ろしさがあった。心臓に悪い。
そんな主人公のアイドル原理主義エゴイズムが、最終的には未熟だった「青春」の過ちの1ページとして綺麗に消化されて物語は軟着陸してほっとした。よくあれからなんとか一応いい感じにまとめたと思ったよ。
ただ、主人公の恐さがいくら相対化されて着地したからといって、何十分も映画の大スクリーンでアイドルカルトホラー映像を見せられた体験がプラスに昇華されるわけがない。余裕でマイナスです。
それに、東のアイドル至上主義はけっきょくちゃんと「反省」できる程度のものだったということにもなり、それはそれで、今まで見せられていたのはなんだったんだ……と虚無感も漂う。(逆に前半の仲間集め成り上がりパートの東の挙動を肯定的に見ていた鑑賞者もまた肩透かしを食らうだろう。)
本作はアイドルの本質を「青春」としているように思える。(無論、全然そうではない、という読み方も可能だが。)
では、大人になって老いてもアイドルをし続けることは不可能なのか、ということにもなるし、アイドル産業とは青春期の未熟な若者を搾取するだけの、今すぐに滅ぶべき対象でしかないように思う。
※ 筆者は10年後の東ゆうさんはアイドルを辞めて俳優として成功している、と勘違いしています。あまりにアイドルを辞めてほし過ぎて……
アイドルものにおいて「仕事」であることと「青春」の思い出であることを両立するのは難しく、雑にいえば、前者を取ってサザエさん時空にしたのがアイマスで、後者を取ってスクールアイドル概念を構築したのがラブライブ!ということになるか(そうなの?)
そもそも東西南北というコンセプトからしてよく分からない。東さんの自室に貼ってある千葉あたりの半島の地図が印象的であるが、彼女はアイドルとして成り上がって全国規模を見据えていたのではないのか。全国スケールからすればあのローカルな地図上の「東西南北」なんてコンセプトとして不成立、「同郷出身」とかにしか思われないはず。なのになぜあんなにご当地なんだ。
それもまた、彼女の近視眼=青春の未熟さ、エゴイズム、世界観の狭さを象徴しているのかもしれないが……。
アイドルアニメでありながら、アイドルを挫折して辞めて大人になった後までを描く物語というのはあんまり見たことがなかったので、その点で珍しいし一定の評価はできる。
「もう一回やる?」と振られたくるみちゃんが「二度とやるか」と笑いながら即座に返すの良かった。
深夜アニメの美少女アイドル文脈に照らせば、ごく”ふつう”に彼氏がいて10年後も妊娠出産している女性キャラクターを描いているのも逆に好感が持てる。まあ最近では予告CMも流れていた『【推しの子】』があるから、その辺りの流れに位置付けられるのかもしれないけど。
TV撮影セットでの煌びやかな新曲お披露目ライブを中盤に配置して、真のクライマックスは、観客が誰もいない高台でアイドルを辞めた少女4人がアカペラで存在しない新曲を合唱するシーンにする、という構成も好き。他に誰も見ていないところでパフォーマンスをする展開が性癖なので……。『フラ・フラダンス』の高台ダンスシーンを思い出した。
2025-06-26 20:22:52