supplod さんの「 きみの色 」の感想 88点 きみの色 まごうことなき音楽映画 2024/8/31(土)夜 公開2日目 山田尚子完全に理解した(していない)…… ミスって3列目と前過ぎる席をとってしまったのと、序盤から尿意との戦いになってしまったのとで、だいぶこちら側の鑑賞体制に不備があって悔しい。映画ってほんとむずいわ。配信が向いてる。 終盤のライブパート以前/以後でがらっと印象・評価が変わった。 しろねこ堂が披露した劇中歌3曲とも良すぎる!!! ド好みだった。サカナクションというかパソコン音楽クラブというか電気グルーヴというか…… とにかくテクノロック最高!!! 曲そのものの好き度が、この映画への好き度を上回るくらいには好き。超踊れた。作中歌がこんなに刺さったことは未だかつてない気がする。(なおなぜテクノだったのかは謎) もちろん、音楽だけじゃなく山田尚子のコンテ・演出はずーっとすごくて、ライブパートでの音楽に合わせた、音楽を鳴らす者たちの仕草・振る舞いの魅せ方も完璧だった。やっぱり山田尚子は本質的にミュージックビデオの作家というか、音に合わせていかに動くか、を追求しているんだな……と感動した。素晴らしいダンサー(=演出家)です。『たまこまーけっと』OPとか、『リズと青い鳥』序盤の登校シーケンスとかで、これまでもその〈ダンス〉のとてつもないうまさを見せつけられてはいたが、今回こうして直球に「音楽映画」をやり切って、すばらしい音楽に合わせてすばらしいダンスを披露してくれたことが本当に嬉しい。ありがとう。 『リンダ リンダ リンダ』→『けいおん!』→『きみの色』……の系譜 ライブパートまでは、映像演出のえげつない質の高さはさることながら、その物語内容のストレートな宗教性をどう受け止めていいか分からず、難解に感じていた。『映画 けいおん!』を見たときに感じた難解さ・宗教性がより前景化したように思えた。ダジャレ(言葉遊び)による作詞や鳥(鳩)のモチーフなど……。 最後まで観終わって振り返っても、明確な分かりやすいストーリー展開やカタルシスは希薄で、人間関係に頼らず、〈物語〉から距離をとって、やりたいことをやった作品なんだな…という印象で、それがライブの素晴らしさによって昇華されて肯定せざるを得ない。つまり、音楽(“聖歌”)を通じて「神」の問題を扱っているので、人間的なドラマのプロットはかなり抽象化されている(その必然性がある)。地に足のつかなさ・難解さを、終盤のライブパートによってすべてまとめ上げようとする、まごうことなき「音楽映画」であり、神への祈り・神の祝福についての宗教映画である。 このあたりの真っ当さは、巷に溢れるアイドル(バンド)アニメとはまったく正反対であり、本当にすばらしい。宗教であることを隠して宗教をやるアイドルアニメよりも、宗教であることを前面に押し出す山田尚子作品のほうがずっと信頼できる。 観ている最中に啓示が降りてきて、「そうか……この作品は、まるで「神」のように、すべてを赦そうとしているのか…………なんてことだ…………」と驚愕して感動していた。そんなことが人間に可能なのか………… まさに「GOD almighty」! 「人間離れ」しようとしているんだよな。「神」になろうとしている。言い換えれば、物語主義やキャラクター主義から離れようとしている。かつて作った日常系アニメの金字塔『けいおん!』は、大きな展開のある〈物語〉を否定していたものの、そのなかに登場する人間=〈キャラクター〉までをも否定していると捉えられることはこれまでほとんど無かったように思う。でも実際は『けいおん!』の頃から、ほんとうはキャラクター主義をも相対化していたのではないか。唯やあずにゃん達を魅力的に描いていたのは確かだが、あの2期の卒業式回で「モブ」を映したように、ほんとうは、そういう消費できる「萌えキャラ」に回収されない、もっと普遍的な、非-キャラクター主義を志向していたのではなかったか。つまり、作中に出てきた特定のキャラの魅力、キャラたちの「関係性」の魅力が核なのではなくて、そういうキャラ=人間たちを包み込む「神」の視点──あらゆるものを祝福し、赦していくところに本質があるのではないか。 だから、本作でいえば、とつ子やきみ、ルイといったキャラクターの魅力、とつ子ときみの関係(百合)の魅力、あるいはきみとルイのヘテロ関係の魅力などもじゅうぶんに見出せるかもしれないが、あくまでそれは低次の、副次的なものに過ぎなくて、この映画の本懐は、「音楽映画」としての音楽の良さであったり、すべてを包み込んで赦しを与えている、シスターですらない、キャラクターのかたちをとらない「映像」の神々しさにあるのではないか。……まぁ、以上はじぶんの感想/感動を正当化するためだけの杜撰な言い訳の域を出ないけれど………… キャラクターは、日暮とつ子さんがとても良かった。アニメアニメしい「美少女」キャラに苦手意識があるのだが、山田尚子の描くそれはなぜか受け入れられる。客体性と主体性みたいなことだろうか。 修学旅行をサボってきみと一緒に中庭から自室に入ろうと窓枠に飛び乗るシーンとか超良かった。ザ「重い身体性」ってかんじ。 とつ子の声の演技も最高だった。 きみさんは、目力が強くて良かった。ライブ直前の手で顔を覆いながら喋るところの演技も素晴らしかった。 キリスト教系の女子学校を舞台にしており、あまりにも濃密に思春期の女子たちの生を描いている映画であるが、メイン3人に含まれる男子、ルイ君の存在意義はまだうまく掴めていない。 ルイ自身の造形は、所謂マッチョな「男性性」がほぼ完全にオミットされた、「正しい」男子キャラではあったが……。この作品はあまりに神々しくて、あんまりこういう陳腐な議論をしたくないんだよな。 女女男のトリオものだと知ったときからとりあえず三角関係を雑に期待していたが、そういう要素はかなり希薄だった。きみの青にルイの緑が混ざり合うところはまぁ凡庸に受精のメタファーだなぁとは思ったけど……。エンドロール前のラストシーン(ラストカット)がルイとの別れであることからしても、きみ-ルイのヘテロ恋愛性を見出せないことはないが、例によって非常に抽象化されている。 仮にそこの2人にヘテロ関係を引くとすると、とつ子が「部外者(3人目)」となり、堤防の上で笑顔で両手を大きくふるとつ子のことがますます愛おしくはなる。とつ子が自身の色を見出すまでの物語だと言えるので、とつ子は一者関係をやっている。ふたりと、ダンスを通じて。やっぱり好きだ〜〜 高校中退ガールズバンドアニメ、流行ってるのだろうか…… 『ガールズバンドクライ』の感想で書いたように、音楽演奏アニメのダンス的な魅力は、キャラクターの身体と楽器という物質が「ふれる」なかで見出される。それを踏まえると、ルイの用いる楽曲がテルミンであるというのがとても興味深い。手で「ふれない」で音を奏でる楽器であり、それを演奏する手や身体の動きはそのままダンスに通ずるものがある。空気・空間のなかでじぶんの身体を動かすこと。音と一体化すること。 終盤まで、あのシスター先生はなんであんなにとつ子たちに対して優しく異様な接し方をするのだろう…………と若干こわかったが、「真相」が分かると一気に疑問が氷結したのは、キャラの魅力にとってどうなんだろうと思わなくもない。……だってさわ子先生とかで見たことあるやつ過ぎて!! けっきょくお前もかーい! それ以外に引き出し無いんかーい!と。 しろねこ堂のライブを聴いてひとり会場を出たシスターが廊下で踊り出すシーンには泣いた。より年配のシスター方が腕を組んで踊っているのにも泣いた。(『天使にラブソングを』未履修ですまない……) バンド名「しろねこ堂」よりも「スーパーアイスクリーム」のほうがいいと思う。 長崎の地形を活かして、離島へのフェリーでの行き来を映すシーンも素晴らしかった。 『色づく世界の明日から』といい、なんで長崎を舞台にしたオリジナルアニメは「色彩感覚」が主題のことが多いんだろう。 本作を観て確信したが、じぶんは今のところ、「色」にあんまり興味がない。ので、そこに関してもまったく思うところがない。興味がないので、好きとも嫌いとも言えない。なにも思わない。色きれいだな~くらい。つくづく自分は、「音」と「動き」の人間なのだと思う。ダンス大好き! ただ、細田守の影ナシ人物作画なんかも性癖なので、「色」のなかでも色相や彩度ではなく明度にはちょっとこだわりがある気がする。本作でも海をバックにしたふたりでの帰路?のカットは「あっ この画面すき!」となった。 Tweet 2025-06-04 12:54:54
88点 きみの色
まごうことなき音楽映画
2024/8/31(土)夜 公開2日目
Tweet山田尚子完全に理解した(していない)……
ミスって3列目と前過ぎる席をとってしまったのと、序盤から尿意との戦いになってしまったのとで、だいぶこちら側の鑑賞体制に不備があって悔しい。映画ってほんとむずいわ。配信が向いてる。
終盤のライブパート以前/以後でがらっと印象・評価が変わった。
しろねこ堂が披露した劇中歌3曲とも良すぎる!!! ド好みだった。サカナクションというかパソコン音楽クラブというか電気グルーヴというか…… とにかくテクノロック最高!!! 曲そのものの好き度が、この映画への好き度を上回るくらいには好き。超踊れた。作中歌がこんなに刺さったことは未だかつてない気がする。(なおなぜテクノだったのかは謎)
もちろん、音楽だけじゃなく山田尚子のコンテ・演出はずーっとすごくて、ライブパートでの音楽に合わせた、音楽を鳴らす者たちの仕草・振る舞いの魅せ方も完璧だった。やっぱり山田尚子は本質的にミュージックビデオの作家というか、音に合わせていかに動くか、を追求しているんだな……と感動した。素晴らしいダンサー(=演出家)です。『たまこまーけっと』OPとか、『リズと青い鳥』序盤の登校シーケンスとかで、これまでもその〈ダンス〉のとてつもないうまさを見せつけられてはいたが、今回こうして直球に「音楽映画」をやり切って、すばらしい音楽に合わせてすばらしいダンスを披露してくれたことが本当に嬉しい。ありがとう。
『リンダ リンダ リンダ』→『けいおん!』→『きみの色』……の系譜
ライブパートまでは、映像演出のえげつない質の高さはさることながら、その物語内容のストレートな宗教性をどう受け止めていいか分からず、難解に感じていた。『映画 けいおん!』を見たときに感じた難解さ・宗教性がより前景化したように思えた。ダジャレ(言葉遊び)による作詞や鳥(鳩)のモチーフなど……。
最後まで観終わって振り返っても、明確な分かりやすいストーリー展開やカタルシスは希薄で、人間関係に頼らず、〈物語〉から距離をとって、やりたいことをやった作品なんだな…という印象で、それがライブの素晴らしさによって昇華されて肯定せざるを得ない。つまり、音楽(“聖歌”)を通じて「神」の問題を扱っているので、人間的なドラマのプロットはかなり抽象化されている(その必然性がある)。地に足のつかなさ・難解さを、終盤のライブパートによってすべてまとめ上げようとする、まごうことなき「音楽映画」であり、神への祈り・神の祝福についての宗教映画である。
このあたりの真っ当さは、巷に溢れるアイドル(バンド)アニメとはまったく正反対であり、本当にすばらしい。宗教であることを隠して宗教をやるアイドルアニメよりも、宗教であることを前面に押し出す山田尚子作品のほうがずっと信頼できる。
観ている最中に啓示が降りてきて、「そうか……この作品は、まるで「神」のように、すべてを赦そうとしているのか…………なんてことだ…………」と驚愕して感動していた。そんなことが人間に可能なのか………… まさに「GOD almighty」!
「人間離れ」しようとしているんだよな。「神」になろうとしている。言い換えれば、物語主義やキャラクター主義から離れようとしている。かつて作った日常系アニメの金字塔『けいおん!』は、大きな展開のある〈物語〉を否定していたものの、そのなかに登場する人間=〈キャラクター〉までをも否定していると捉えられることはこれまでほとんど無かったように思う。でも実際は『けいおん!』の頃から、ほんとうはキャラクター主義をも相対化していたのではないか。唯やあずにゃん達を魅力的に描いていたのは確かだが、あの2期の卒業式回で「モブ」を映したように、ほんとうは、そういう消費できる「萌えキャラ」に回収されない、もっと普遍的な、非-キャラクター主義を志向していたのではなかったか。つまり、作中に出てきた特定のキャラの魅力、キャラたちの「関係性」の魅力が核なのではなくて、そういうキャラ=人間たちを包み込む「神」の視点──あらゆるものを祝福し、赦していくところに本質があるのではないか。
だから、本作でいえば、とつ子やきみ、ルイといったキャラクターの魅力、とつ子ときみの関係(百合)の魅力、あるいはきみとルイのヘテロ関係の魅力などもじゅうぶんに見出せるかもしれないが、あくまでそれは低次の、副次的なものに過ぎなくて、この映画の本懐は、「音楽映画」としての音楽の良さであったり、すべてを包み込んで赦しを与えている、シスターですらない、キャラクターのかたちをとらない「映像」の神々しさにあるのではないか。……まぁ、以上はじぶんの感想/感動を正当化するためだけの杜撰な言い訳の域を出ないけれど…………
キャラクターは、日暮とつ子さんがとても良かった。アニメアニメしい「美少女」キャラに苦手意識があるのだが、山田尚子の描くそれはなぜか受け入れられる。客体性と主体性みたいなことだろうか。
修学旅行をサボってきみと一緒に中庭から自室に入ろうと窓枠に飛び乗るシーンとか超良かった。ザ「重い身体性」ってかんじ。
とつ子の声の演技も最高だった。
きみさんは、目力が強くて良かった。ライブ直前の手で顔を覆いながら喋るところの演技も素晴らしかった。
キリスト教系の女子学校を舞台にしており、あまりにも濃密に思春期の女子たちの生を描いている映画であるが、メイン3人に含まれる男子、ルイ君の存在意義はまだうまく掴めていない。
ルイ自身の造形は、所謂マッチョな「男性性」がほぼ完全にオミットされた、「正しい」男子キャラではあったが……。この作品はあまりに神々しくて、あんまりこういう陳腐な議論をしたくないんだよな。
女女男のトリオものだと知ったときからとりあえず三角関係を雑に期待していたが、そういう要素はかなり希薄だった。きみの青にルイの緑が混ざり合うところはまぁ凡庸に受精のメタファーだなぁとは思ったけど……。エンドロール前のラストシーン(ラストカット)がルイとの別れであることからしても、きみ-ルイのヘテロ恋愛性を見出せないことはないが、例によって非常に抽象化されている。
仮にそこの2人にヘテロ関係を引くとすると、とつ子が「部外者(3人目)」となり、堤防の上で笑顔で両手を大きくふるとつ子のことがますます愛おしくはなる。とつ子が自身の色を見出すまでの物語だと言えるので、とつ子は一者関係をやっている。ふたりと、ダンスを通じて。やっぱり好きだ〜〜
高校中退ガールズバンドアニメ、流行ってるのだろうか……
『ガールズバンドクライ』の感想で書いたように、音楽演奏アニメのダンス的な魅力は、キャラクターの身体と楽器という物質が「ふれる」なかで見出される。それを踏まえると、ルイの用いる楽曲がテルミンであるというのがとても興味深い。手で「ふれない」で音を奏でる楽器であり、それを演奏する手や身体の動きはそのままダンスに通ずるものがある。空気・空間のなかでじぶんの身体を動かすこと。音と一体化すること。
終盤まで、あのシスター先生はなんであんなにとつ子たちに対して優しく異様な接し方をするのだろう…………と若干こわかったが、「真相」が分かると一気に疑問が氷結したのは、キャラの魅力にとってどうなんだろうと思わなくもない。……だってさわ子先生とかで見たことあるやつ過ぎて!! けっきょくお前もかーい! それ以外に引き出し無いんかーい!と。
しろねこ堂のライブを聴いてひとり会場を出たシスターが廊下で踊り出すシーンには泣いた。より年配のシスター方が腕を組んで踊っているのにも泣いた。(『天使にラブソングを』未履修ですまない……)
バンド名「しろねこ堂」よりも「スーパーアイスクリーム」のほうがいいと思う。
長崎の地形を活かして、離島へのフェリーでの行き来を映すシーンも素晴らしかった。
『色づく世界の明日から』といい、なんで長崎を舞台にしたオリジナルアニメは「色彩感覚」が主題のことが多いんだろう。
本作を観て確信したが、じぶんは今のところ、「色」にあんまり興味がない。ので、そこに関してもまったく思うところがない。興味がないので、好きとも嫌いとも言えない。なにも思わない。色きれいだな~くらい。つくづく自分は、「音」と「動き」の人間なのだと思う。ダンス大好き!
ただ、細田守の影ナシ人物作画なんかも性癖なので、「色」のなかでも色相や彩度ではなく明度にはちょっとこだわりがある気がする。本作でも海をバックにしたふたりでの帰路?のカットは「あっ この画面すき!」となった。
2025-06-04 12:54:54