supplod さんの「 ハウルの動く城 」の感想

83点 ハウルの動く城

おばあちゃんが生き生きと躍動するアニメっていいよね

初見

面白かったぁ~~~
これまでの人生で、「『ハウル』は主人公の少女が呪いで老婆にされてしまう話」だということを知らずにここまで生きてきた自分、グッジョブ!! 最初やけに主人公の声質が年齢高めのチョイスだなぁ…と訝しんでいたので数分後に「そのためのキャスティングかww」と明快な答え合わせがされてウケた。

おばあちゃんがメインで活躍する物語って良いよね……『夜のみだらな鳥』然り、『椿の海の記』然り……
あらゆる「美少女アニメ」に荒地の魔女が舞い降りて、片っ端からソフィーのように元気で可愛らしいおばあちゃんにしてほしいくらい。ソフィーおばあちゃん、宮崎駿作品で今のところいちばん好きなヒロイン。
ハウルも、登場時はま~たアシタカのような英雄/スパダリかぁ~~と辟易していたが、かんしゃくを起こして呪い魔法を暴発させ、めちゃくちゃ情けなくて我がままな野郎だってことが分かってからは好印象。一本足の怪鳥になってもイケメン人面だけは埋め込まれているように残っているのはキモいけど。
ルッキズムがテーマの一つではあり、そこらへんも期待して観ていたのだが、結局なんやかんやで(アニメ的な)美男美女ヘテロカップルがその姿のまま結ばれてしまうのは残念だった。お婆ちゃんと化物の状態なら絶賛してた。白髪が残っていたのは良い。ラスト以外の過程では、おそらくハウルへの恋心?の高ぶりと共に目まぐるしく元の少女から老婆まで連続的に変化していくソフィーはとても良かった。これぞアニメーションって感じで。
他のキャラも全員魅力的だった。カカシのカブさん徹底して喋らなくて最高やな~と思っていたら最後呪いが溶けて人間形態になっちゃったのには萎えた。隣の国の王子(主人公のことが好きで、想い人にキスされて呪いが解けた)がいきなり出てきて「フラれちゃったけど、ちょっくら戦争終わらせてから戻ってきま~す」はギャグとして取ったらいいのか何なのか……。そもそも戦争に主眼が置かれていない作品とはいえ、この台詞で一気に薄っぺらい印象を残してしまったぞ。
鳥山明がデザインしたみたいな(メラゴースト+スライム)重要キャラのカルシファーもコミカルで良かったなぁ。。自分で薪を手に取って燃える炎おもしろすぎる。
マルクル少年とソフィーおばあちゃんの関係もすき。年齢外見詐称コンビ。
そして荒地の魔女もめっちゃ好き。前半でソフィーを「おばあちゃん」として生き生きと描いてから、中盤の王宮パートで因縁の魔女をあのように弱体化させ、さらには「動く城」の味方陣営へと引き入れて、より「おばあちゃん」な魔女とのやり取りでソフィーのおばあちゃん性を相対化し、ハウルとのヘテロ恋愛の方向に舵を取らせる構成が美しい。
王宮の階段を、犬(ヒン)を抱えたソフィーお婆ちゃんと荒地の魔女がゼエゼエ言いながら登るくだりは、今作でもっともスペクタクルに溢れているシーンだった。『千と千尋』でも主人公の少女が階段を恐る恐るくだる作画がエグかったのを覚えてるが、子供ではなく老人に(しかも2人に!)対して階段でのアクション作画シーンを設けてこのように描き切ったジブリ/宮崎駿の英断と実力よ。

王宮でサリマンの魔法から逃げて脱出するくだりの作画演出も物凄いんだけど、ここで飛行機上で結成される即席のパーティ(ソフィーおばあちゃん、ハウル、荒地の魔女、サリマンの従犬ヒン)のカオス感がめちゃくちゃ好き。『すずめの戸締り』後半の赤いオープンカーに同乗したメンバーを思わせるカオス具合と即席感に「これだよこれぇ!!!」と興奮がとまらなかった。『すずめ』ではオープンカーを保守的な家族("戸締まり")と対照的な概念として位置付けて解釈したけど、『ハウルの動く城』ではいわばその両者のハイブリッドが模索されていると思う。つまり、「動く城」というタイトルの通り、血統的・家父長的ではない共同体としての《家族》が構築され活写(animated)され、「引っ越し」し(動かない引っ越し描写が最高)、そしてあのように二本足で歩きながらも崩壊してゆく……(最後に板きれ一枚になった「城(=家)」が崖を滑って岩に引っかかって「橋」になる──というのを良い感じに解釈することは出来そうですよね)
このように、主題・思想面でもかなり期待が持てると感じながら視聴していたので、最終的に(マルクルや魔女とも一緒に城で住むとはいえ)普通の若い男女のヘテロ恋愛(言うまでもなく生殖そして旧来の意味での「家族」に繋がる)に帰着してしまったのが返す返すも残念である。上述の通りお婆ちゃんと化物の姿で結ばれてさえいれば……と悔やまれる。
荒地の魔女がソフィーに「あんた恋してるね?」と諭す終盤のくだりも、あぁ~宮崎駿の嫌いなところ出てるなぁ~~~とゲンナリした。『耳をすませば』で最初に感じた、恋する若者がただ恋する様子を描く(『海がきこえる』のように!)のではなく、必ず年長者を登場させて若者に知ったような口で教え諭して説教する手癖が本当に苦手だ。荒地の魔女がおばあちゃんになってもバリバリ現役で恋してるのはすごく良いと思うんだけどね……。

世界観の設計や映像的な動かし方など、ファンタジーとしての質の高さに圧倒されっぱなしだった。がっつりファンタジー世界なアニメはそこまで好きじゃない自分でもこれには降参せざるを得ない。『千と千尋』『もののけ姫』でもすごいと思ったけど、改めて本当にすごいと思った。また王宮までのくだりの話になっちゃうけど、荒地の魔女を乗せた籠?を運んでいた二体の泥人形が、敷地内に差し掛かって力を失ってドロドロに崩れ落ちていくさまとか、最高。

終盤、ハウル城のどこでもドアでハウルの幼少期にタイムリープしたソフィーが「未来で待ってて」と告げるくだり、もちろん『時かけ』じゃん!ってなったんだけど、これはあれなの? 『ハウル』の監督から降ろされた細田守が、『オマツリ男爵』を作った後に、ハウルのここの部分の意趣返しとして『時をかける少女』のあそこを作った、的な都合のいい妄想的作家エピソードないの? ソフィーが過去にタイムリープして「未来で待ってて」と言い、その通りにすぐに現在のハウルと再会してHappy End.. やる『ハウル』に対して、もうタイムリープが出来ず、未来へ行く間際の実質的な別れの言葉として「未来で待ってる」と千昭に言わせる『時をかける少女』はまさに「意趣返し」として成立していると思うけど。

2023-01-27 19:59:48